まんまんちゃん、あん

先日、仏間で法衣を片付ける少しの間、1歳になる娘をお仏壇の前に座らせました。すると、座るや否や、手を合わせて、むにゃむにゃ、何か口ずさみながら、手を合わせて頭を下げるではありませんか。
さてはて、現在、目下、宇宙語盛りの娘。何と言ったかは不明ですが、もしかしたら、「まんまんちゃん、あん」を覚えてくれたのかもしれません。

「まんまんちゃん、あん」

ご存知の方はどれくらいおられますでしょうか。私は、当然のように思っていましたが、大津出身の妻は全く知りませんせんでした。幼児語で「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という意味ですが、いったい何が「まんまんちゃん」なのか、仏様に対して「ちゃん」とは失礼じゃないのか(笑)、「あん」とは何なのか、なんとも不思議な言葉です。

そういえば、娘がはじめて口にした言葉は「まんま」でした。食いしん坊の両親の娘だから、と妙に納得したものです。1歳になった今でも「まんま」という言葉をを一番口にします。お腹がすいたら「まんま」、のどが渇いたら「まんま」。抱っこしてほしかったら「まーま」。おいしかったら「うまうま」。

赤ちゃんにとって「まー」という音は発しやすく、早い時期に話しだすことはよく知られています。我が家では「ママ」とは呼んでいませんが、多くの国や家庭で「ママ」や「マー」は母親を意味します。一方、日本では、ごはんのことを「まんま」と呼んできましたが、いずれも、自活できない赤ちゃんが生きていくのに欠かせない生命線を指しています。

「まんまんちゃん、あん」で検索してみると、主に関西で使われてきた幼児語で、「まんまん」とは仏様、「ちゃん」とは「さん」を意味するようですが、赤ちゃんの生命線を意味する「まー」という言葉に、「ごはん」や「母親」と同じように、「仏様」を充てたことに、深く考えさせられます。

まだまだ、乳幼児の死亡率も高く、宗教が身近だった時代。日々、こどもと一緒に「まんまんちゃん、あん」と手を合わせ、仏様から授かった命に感謝し、健やかな成長を祈ってきたのでしょう。

時代は流れ、そんな習慣も薄れてきていますが、「まんまんちゃん、あん」と無心に手を合わせる娘の後ろ姿に、今も変わらない「まんまんちゃん」の存在を見たような気がしました。

(副住職)