サンタクロースと「見えないもの」を信じる心

今年のクリスマスイブ。初めて「本物の」サンタクロースになりました。何度もコスプレはしたことが何度もありますが、娘が産まれてはじめて、本物のサンタクロースの「気持ち」になれた気がします。

いつ子どものお手紙を読んで、どうやっておもちゃを調達して、どのように届けてくれるのか。不思議なことばかりだけど、夜が明けるとサンタクロースからのお返事とプレゼントが届いている。サンタクロースの形跡は残っているけれど、決して、会うことも見ることもできない。そんな存在。

子どもの頃は、そんな存在がたくさんありました。サンタさんにお手紙を書く。お寺で仏様に手を合わせる。暗闇に鬼やお化けを感じ怯える。「見えないもの」を感じ、願い、恐れ、信じていました。ところが、大人になった私達は、便利な現代文明を教授する代償に、目に「見えないもの」や「見えないこと」を忘れてしまったようです。

「見えないものを信じる」とは、オカルトや霊魂を信じることではありません。自分が見える、理解できる範囲はたかが知れていて、その先にはもっと広く深い世界が広がっていることを受け入れること。先入観のない素直な子ども達は、もしかすると直感的に理解しているのかもしれません。

私はといえば、学生時代、システム工学を専攻し、自然科学はもとより、社会現象や人間関係まで、全て原因と結果があって、それらは構造化できるはずと、研究に励んでいました。恐らくそのこと自体は間違いじゃないように思いますが、全ての原因を見つけ出し構造化するのは無理がある。大半の原因は見つけられず、また、どれが一番重要かなんて、私たち凡人にはわからない。大切はことは、確かにあるけど、私たち凡人には見えない。

毎年、この季節になるとネットでよく見かけるサンタクロースに関する名回答にもあるように、クリスマスの朝、プレゼントが届く理由は、私たちが思っているより、ずっと広く深くて、とても一言で言い表すのは難しい。だから「サンタクロース」、なのかもしれません。
https://temita.jp/wd/picture-t/yahoo/43008

森羅万象と人々の想い。「愛」「願い」「夢」「希望」。私達一人ひとりの暮らしや人生は、たくさんの「見えない大切なもの」に支えられています。まだ1歳の娘には、どこまで理解できているかわかりません。ただ10年後くらいに、サンタクロースの正体がわかった後も、「見えないものを信じる」謙虚で素直な心は、持ち続けていて欲しいと願っています。