人間関係に悩んだら、名前で呼んでみる

毎晩、秋の虫の声が楽しめる季節になりました。自坊の裏庭は緑が豊かなためか、昨晩に至ってはもう大合唱。我が家のメインボーカルはエンマコオロギですが、秋の虫と一口に言っても、その実、松虫や鈴虫、くつわ虫、馬おいなどたくさんの種類がいて、音色もさまざま。十把一絡げに松の虫と呼ぶのは失礼千万な気がします。(こんな心地よい虫の声ですが、西洋では脳の構造上、機械音や雑音に聞こえるそうで、日本に生まれてよかった。)

秋の虫に限らず、世の中で確認されている全ての生き物には、それぞれ個性があって、異なる名前が付けられています。人間にいたっては、ひとりひとりに氏名まであります。あなたが生まれると同時に付けられたその名前は、この世に生を受けたあなたの全てであり、存在そのものに他なりません。

さて、今日は「名前」の話。

個人主義が浸透するなか、親戚や職場、ご近所などの人間関係を煩わしく感じ、深刻な悩みをお持ちの方も大勢おられるようです。解決の糸口は、「相手を受け入れること」「相手の立場になって考えること」なんて、よく言われていますが、実際どうしたらいいのか、正直私にもピンときません。

そんなとき、まずは、「名前で呼んでみる」。

名前とは、その人そのもの。肩書きではなく、ひとりひとりの名前で呼ぶ習慣をはじめてみてはどうでしょうか。最初は、声に出す必要はありません。頭の中で考える時に使えば充分。

人間関係に悩む時、「社長のくせに・・・」とか「外国人だから・・・」とか「○○屋のくせに・・・」みたいに考えることはありませんか。人間関係が希薄で相互理解が浅いほど、名前ではなく、社会的な肩書きで捉えようとしてしまいます。

でも、「社長」は会社での役職に過ぎません。家庭では「父」かもしれませんし、友達仲間では「おもろい奴」かもしれません。「外国人」と一括りに呼んでいますが、価値観も性格もバラバラ、当然いろんな人がいます。「社長」も「外国人」も「仕事」も、その人の一側面を表しているだけ。そこにこだわって接している限り、「相手を受け入れること」も「相手の立場にたって考えること」も、到底できないように思います。

ゴダイゴの名曲「ビューティフル・ネーム」。改めて歌詞を読み返してみると「深イィ~」。確かに、子どもたちは、肩書きにも社会にも縛られずに、ひとりひとりをあるがまま受け入れていますね。子供たちを見習いたいものです。
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※写真は、白沙村荘さんで撮影しました。