百人一首と坊主めくり ~坊主札が語ること~

お正月遊びの定番、百人一首かるた。坊守は、高校時代から競技かるたをはじめ、かるた関連のお仕事にも関わらせていただくなど、百人一首に精通していますが、私はと言えば、高校の授業で勉強した程度。お正月も「坊主めくり」ぐらいしかしていませんでしたが、最近は、映画化されたマンガ「ちはやふる」のヒットもあって小学生も関心が高いようで、私の姪っ子も百人一首を勉強しているそうです。

さて、「坊主めくり」をしていると、僧侶が大勢登場することに気づきます。「坊主めくり」のジョーカー役として、天皇や公卿以上に存在感のある「坊主」ですが、その和歌についてはほとんど意識したことはなかったので、これを機に調べてみました。

ご存じの通り、現在、最も普及している「小倉百人一首」は、鎌倉時代に藤原定家が京都・小倉山荘で、「古今和歌集」や「新古今和歌集」などの勅撰和歌集から選んだとされるもの。飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の和歌が選ばれています。その内訳は、天皇8、親王・内親王2、女房17、公卿・公卿の母30、貴族28、僧侶12、不明3。天皇や公卿・貴族の和歌が多いのは頷けますが、僧侶も少なからず含まれています。大きな権勢を誇った延暦寺の存在や、庶民に広がった末法思想など、当時の仏教の影響力を反映しているのでしょう。

僧侶と言われているのは、次の12人。

喜撰法師 わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり
僧正遍照 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
素性法師 今こむと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな
恵慶法師 八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり
大僧正行尊 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
能因法師 あらし吹く み室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり
良ぜん法師 さびしさに 宿をたち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ
道因法師 思ひわび さてもいのちは あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり
俊恵法師 夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり
西行法師 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
寂蓮法師 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
前大僧正慈円 おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に すみぞめの袖

一人ひとりの経歴を調べていると、皇族や公家から出家した者も多く、隠遁者として過ごしていたためか、仏教の教義というよりも、人里離れて過ごす孤独や寂しさを詠んだ歌が目につきます。

ところで、「坊主めくり」の歴史は意外と短く、今の遊び方が固まったのは、明治以降という説もあります。「坊主」をめくると手持ちの札を全て没収され、「姫」をめくると場の捨て札を全て手に入れるというルールですが、このようなルールになったのはなぜでしょうか。「僧侶は欲がない」という意味なのか、「坊主には金がかかる」という皮肉なのか。「坊主めくり」を通じて、天皇や姫の札に象徴される社会的地位や財産に対する自己の執着心に気づいてほしい、そんな想いが含まれているのか。発案者も由来も定かでない「坊主めくり」の真相は闇の中です。

小倉百人一首ができて千年余経ちますが、今もなお、私達の心を揺さぶります。例えば、最近出会ったこの和歌。まだまだ寒いこの季節に詠まれたこの歌は、慈愛に満ちていて、心まで温かくしてくれます。このお話は、また。

君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手は 雪は降りつつ / 光孝天皇

※歌人の分類や人数については諸説あります。