西ノ坊・長性院縁起

真宗佛光寺派長性院の開山は、約700年前。
佛光寺中興の祖 了源上人の長息 空信が京都今熊野の地で開山。
以降、京の町や佛光寺と共に、その歴史を重ねてきました。


 その後、明治39年3月(1906)自坊から失火、本堂、庫裏を失ったが、明治41年(1908)焼失を免れた座敷を、本堂兼庫裏に改築した。昭和9年6月、良祐の子息佐々木乾祐(乾三)が長性院第二十三世を継職し、昭和41年(1966)、老朽化が激しく且つ手狭な、本堂兼庫裏を新築し、その後第二十四世佐々木亮一も改修を重ねて、今日に至っている。

なお、度重なる火災のため、後世に伝えるべき資料・宝物を焼失したことは誠に遺憾であるが、唯一、嘉暦元年(1326)に描かれた長性院所蔵の『一流相承絵系図』は、昭和60年(1958)、国の重要文化財の指定を受けた。絵系図には、俗人姿や女性、更には子供までもが描かれており、草創期における真宗教団の活動を伝える重要な資料となっている。

令和6年12月