「生きる知恵」と京都若手作家合同展(GOLD展)

2月8日、FM京都「アルチザントーク」に出演させて頂き、長性院と向鶴文化連、そしてGOLD展の取り組みについてお話させて頂きました。

DJの和える・矢島さんに私の拙い説明を上手にフォローして頂き、なんとか1時間の番組を終えることができました。改めて自らの取り組みについて考える貴重な機会となりました。FM京都さん、和えるさん、ありがとうございました。

よく考えてみると、GOLD展開催の経緯や目的など、今までちゃんと紹介したことがなかったので、ラジオの抜粋を掲載したいと思います。長文になりますが、ご興味ございましたら、ご高覧ください。

――まず、佐々木さんのお寺、「長性院」についてご紹介してください。

浄土真宗の佛光寺派に属するお寺で、約700年前、1313年京都・東山・今熊野で建立されたのですが、その後、安土桃山時代に、豊臣秀吉からの依頼を受けて、現在の場所に、本山佛光寺とともに移ってきたと伝わっています。歴史的な経緯から、もともと檀家が少なく、代々、住職はサラリーマンとして外で務めに出ていて、いわゆる兼業坊主をしています。

十数年前からは、「生きる知恵に出会う」をコンセプトに、わずかですが、新たな取り組みにも着手しています。

「生きる知恵」とは、先入観や偏見、社会常識や世間の目、などに捉われることなく、ありのままの自分を、のびのびと生きていくための「気づき」です。そのきっかけは、人それぞれ。感動体験かもしれませんし、大切な人の死や自身の病気かもしれません。

ただ、私達は、それに気づかないまま、何げなく過ごししてしまうことも多いのではないでしょうか。そんな「生きる知恵」に気づくお手伝いをすることが、お寺の役割だと考えて活動しています。

――お寺の副住職である佐々木さんが、“文化体験の取り組み”を始められたのは、何故です

ちょっと逆質問したいのですが、お寺とコンビニ、どちらがたくさんあると思いますか?

実は、「今のところ」、お寺の方が多いらしいんですが、そのうち、約1/4は住職のいないお寺で、そう遠くない将来、3割~4割が消滅すると言われており、コンビニと逆転しそうです。必要なものがすぐ手に入る「便利」なお店と、お葬式だけのつきあいになりつつあるお寺。現代社会を、まさに象徴していますよね。

現代社会では、合理主義が浸透し、利便性や機能、効率などが私達の大きな価値基準になっています。例えば、伝統工芸の世界も、利便性と価格で勝る100均の商品に席巻されていますよね。実は私も100均が大好きで、ついついいろいろと買い求めてしまいます。

ただ、私は100均自体を否定する訳ではなくて、問題なのは、価値基準は本来、多様であるべきで、「利便性」も本来、そのなかの一つのはずなのに、皆が皆、それが全てだと信じ込んでいることだと思うんです。そして、これは、きっと「利便性」以外の価値を感じる体験、経験がないからなんだと思うんですよ。

お寺は、その最たるもので、「利便性」や「合理性」なんて問われたら、回答に困ってしまいます。お経をとなえることで極楽浄土に行けるかどうかなんて証明できませんし、そもそも、極楽浄土の存在自体、信じている人は少ないでしょう。

そんなことを悶々と考えている時に、ある方からKyoto Design Weekのお誘いを頂きまして、お寺を開放して何をしようかと考えていたところ、ふと、お寺とアートは似ているところがあるかもしれない、と思ったことがきっかけで、展覧会を開くこととなりました。

――どんな共通点なんですか。

何回か、展覧会を開催して、ようやく少しずつ実感が沸いてきたのですが、アートとは、大自然や私達人間の内なる自然を凝縮したものだと感じるんです。
自然も人間も、多様で、予測不能で、矛盾をはらむ、複雑怪奇な存在です。だから、自然や人間にも正解はありません。だから、わかるはずがないし、わからなくても、そのまま受け入れればいい。でも、科学文明に慣れ親しんだ、頭でっかちな私達は、なかなかそれが難しい。だから、それを、アートを通じて感じる。
すると、今、この命を生きている実感や喜び、そして、明日への希望がわいてくる。これがアートの力なんだと思うのです。

そして、これは、まさに、お寺にもあてはまることです。お寺もアートも、現代の合理主義に押しつぶされそうな私達が、矛盾と可能性に満ちた自らを開放して、生き生きと生きていくための、先人達が作り上げてきた「生きる知恵」だと思うのです。これが、文化体験、「向鶴文化連」の取り組みを続けている理由です。

――向鶴文化連の具体的な活動内容について、ご紹介いただけますか。

現在、向鶴文化連としては、2人の仲間とともに、京都若手作家合同展、通称、ゴールド展を約1年に1回程度、開催しています。

ゴールド展のコンセプトですが、せっかくお寺で開催するのだから、その場所性、お寺で開催する意味を考えました。うちは違いますが、多くのお寺や仏像はキンキラで、多くの素晴らしい美術品や工芸品も並びんでいます。「金」とは仏さま、極楽浄土、そして光の象徴です。

そこで、当院の仏間を開放し、京都ゆかりの若手の作家さんに、「金」「GOLD」にまつわる作品を展示していただくことにしました。

――過去2回は、どんな展覧会だったんでしょうか。

第1回目の展覧会のテーマは、「Power of Gold」。
光、太陽、自然、命、温もり、全て光輝く「Gold」です。それらを内包した作品と、それを生み出す作家。それらも、また「Gold」。そんな「Gold」の力に触れることで、来場者に「生きる喜び」を感じて欲しいと考えました。狭い会場に所狭しと多様な作品を並べたのですが、不思議と一体感があって、ご来場者の皆さんにも好評でした。

2回目となる2017年の「Time of Gold」は、文字通り「時」がテーマでした。こんなコピーです。

一生に一度 真実に出会う時を
一年に一度 歓びに包まれる時を
一日に一度 光で満たされる時を
一瞬にして永遠 Time of Gold

「即得往生」という仏教用語があります。恐れ多くも非常に簡単にいうと、日常のとある瞬間、生きながらにして往生する=悟りを得る、という意味です。「生きる知恵」に気づくのも、一瞬のことです。そして、それは、一生に一回かもしれないし、またいつかもわかりません。

「Time of Gold」では、そんな一人一人の一瞬の気づきに立ち会いたいとの想いで、つけたテーマです。2回目のこの展覧会も、ジャンルの異なる5名の作家さんにご参加頂きました。

1回目も2回目の作家さんも、皆さん、もともと実力があって、有名な方ばかりだったので、GOLD展以降も大活躍されています。将来の京都・日本のアートシーンを立ってたつ方ばかりじゃないですかね。

――ところで、毎回、出展作家はどのように集められているのですか。

この展覧会は、それぞれ別の仕事を持っている3名で運営しているのですが、常日頃、作家の個展やアート展に通ったり、ホームページやSNSで情報収集したりしています。3人とも、ある意味、アートは素人なのですが、私達が素敵だと思った作品、応援したい・ご一緒したいと思うような作家さんに出会ったら、直接連絡をとって、一人ずつ出展者を集めています。その段階では、テーマや企画内容も、「GOLD」という以外は決まっていなくて、5名が集まってから、顔ぶれを見ながら考えています。

――それでは、3回目となる「Sound of Gold」についても、ご紹介をお願いします。

日時 2019年3月16日(土)、17日(日) 10:00~17:00
場所 真宗佛光寺派 長性院(四条烏丸から徒歩5分)通常非公開
入場無料

今回のテーマは、「Sound of Gold」。
和讃という、親鸞聖人がつくられた日本語のお経をヒントにしました。

清風宝樹をふくときは
いつつの音声いだしつつ
宮商和して自然なり
清浄薫を礼すべし

簡単に訳すと、
極楽浄土では、美しい樹々の間を清らかな風がそよぎ、五つの音を奏でている。
宮と商の音さえも、ありのままでよく調和する。
清らかににおう、仏さまにお祈りしましょう。
となります。

少し解説しますね。「いつつの音声」とありますが、五個の音とは、宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・微(ち)・羽(う)といって、東洋音階の五音のことです。これをもとに、お経やお琴なども演奏されます。一方、私達が普段よく使うのは、西洋音階で、七音ドレミファソラシドです。

五音のなかで、「宮」と「商」は、ぶつかりあう音、いわゆる不協和音なのですが、不思議と極楽浄土では、調和して流れている、と、和讃には書いてあります。

今回のゴールド展にも、5名の作家が参加されます。
作品は、いずれも個性的で、まるで、美しい音色を奏でているようです。しかし、そのどれひとつ対立・邪魔しあうことなく、絶妙に調和して、まるで極楽浄土のような、かぐわしい会場になっているはずです。

――リスナーへのメッセージをお願いします。

普段、芸術に程遠い生活をしているアート初心者の私が、一目見て、心揺さぶられた作家さんの作品ばかりです。アート好きの方はもちろん、よくわからないな~、という方も、ぜひお越しください。作家の皆さんと一緒に、長性院にてお待ちしています。

(副住職)