3月30日、よりにもよって職場で勤務中、生まれてはじめてのぎっくり腰になって身動きがとれなくなり、同僚に家まで送ってもらうという大失態をしでかしました。年度末の、それでなくても多忙なときに、職場や関係者の皆さんは大変ご迷惑をおかけし、合わせる顔がありません。
原因は、第4腰椎と第5腰椎の間の軟骨が少ないことによるだそうで、いつ発症しても不思議ではなかったそう。翌週までの4日間、まさに「腰くだけ」状態で、ほとんど立ち上がることができないため、布団のうえでごろごろと過ごしました。今まで全く意識しませんでしたが、「腰」にどれだけの負担がかかっているか、その「腰」を痛めるとどれほど不自由になるか、気づかされることの多い4日間でした。
私は、学生時代、身体障害者施設に出入りしていたことがあります。新しい世界を知りたいという単純な動機から、国際交流NGOに入るのと同じような感覚で、ボランティアサークルに参加。視覚障害を持つ子ども達と勉強したり遊びに出かけたりと、どれも貴重で楽しい時間でしたが、何故かずっともやもやしていました。
同時期、国際交流NGOで出会った外国の学生たちとは、将来や恋愛など若者特有の共通項が次々と見つかってどんどん仲良くなっていくのに、身体障害を持つ子供たちとは、知れば知るほど、違いばかりを強く意識してしまって、ある時はかわいそうに見えたり、またある時はずばぬけた能力に驚かされたり。仲良くつきあってはいるのですが、どこか他人事のような気持ちが拭えないのか、心理的な距離は縮まらなかったように思います。
さて、ぎっくり腰から、約1ヶ月半が経ち、ようやく軽く運動できるまで回復しました。とはいえ、再発の不安から、日々慎重に過ごしています。もし、再発したら、次はもっと長期間、歩けなくなってしまうかもしれません。
そんなことを考えていると、身体障害についてもう少しリアリティをもって、考えられるようになりました。障害というと、ついつい先天的なケースや、病気や事故で突然なるケースをイメージしがちですが、徐々に身体能力が低下するケースも少なくないはず。早いか遅いか、突然か徐々にか、重いか軽いか、症状は異なっても、誰しも他人事ではありません。
以前、ボランティサークルで訪れた施設の職員さんから、「障害とは個性である」とお聞きしたことが耳に残っています。この言葉の意味を理解し体現するにはまだまだ修行が足りませんが、思い通りにならない自分のことも、自分とはいろんな面で異なるみんなのことも、ありのまま・あるがまま大切にできるよう努力したいと思います。