仏具お磨きの生産性向上とその行く末

仏具のお磨きは、「報恩講」(ほうおんこう)に向けた準備の一環で、毎年秋に行っています。

「報恩講」とは親鸞聖人の命日にあわせて営まれる法要のことで、真宗における最も重要な法要のひとつ。各寺院では報恩講に向けて、本堂やお庭を掃除し、仏具を磨き、花を生け、おけそくや供物などを揃えて、当日を迎えます。自坊でも、報恩講は一年で最も大きな行事で、その数週間前から準備を始めます。一般家庭の年末みたいな感じでしょうか。

門徒さんと一緒に、お磨きをされるお寺もたくさんあるようですが、自坊では、昔から、家族でお磨きをしています。まだ、私が小学生だった頃は、祖母と母が毎晩1週間くらいかけて、ペースト状の薬剤「ピカール」と新聞紙で指を真っ黒にしながら仏具を磨いていたのを覚えています。

最近では、その名も「ニューテガール」というたいそう便利な洗浄剤ができ、2~3時間程でお磨きを終えることができるようになりました。なんでも、名古屋城の金の鯱の洗浄にも用いられたんだとか。この洗浄剤を水に薄めてしばらく漬けるだけで、なんとサビが落ち、くすんだ黄色から淡く白っぽい輝きに戻る。あとは、お湯で溶液を流し落として、布で拭く程度。ラジオや音楽を聴いているうちに終わってしまう感じです。

ニューテガールが開発されたのが昭和60年頃。一方、真鍮(黄銅)が利用され始めたのは、約350年以上も昔だそうなので、多くの先人たちは、祖母や母のように何日間もかけて、心を込めて仏具を磨いてきたのでしょう。しかし、新たな道具によって、便利になって短縮できて、他の大切なことに取り組む時間ができたのも事実です。

お磨きの終盤、私の不注意で仏具の部品をひとつ無くしてしまいました。見過ごしそうな小さな小さな金具ですが、仏具の組み立てには欠かせません。簡単便利になったことで、一つ一つの作業に横着になっていなかったか。物を粗末に扱っていなかったか。振り返ると、心当たりのあることばかりで、情けなく悲しくなってしまいました。

「効率」や「生産性」が最優先の時代。それと引き換えに、大切な何かを失ってしまわないよう、心だけでもゆとりをもって過ごしたいものです。

来年は、ご一緒に、お磨き、してみませんか。