あなたが食べている「いのち」は、「おいしい」の?「まずい」の?

食欲の秋、真っ盛り。さんまに松茸、新米に栗。我が家では、何故かサンマだけは未だに七輪で焼きます。サイコーです。

さて、最近、問題になっている「7つの”こ”食」ってご存知ですか。厚生労働省によると、①家族と一緒に暮らしているにもかかわらず一人で食事を摂る「孤食」、②複数で食卓を囲んでいても食べている物がそれぞれ違う「個食」、③子どもだけで食べる「子食」、④ダイエットのために必要以上に食事量を制限する「小食」、⑤同じ物ばかり食べる「固食」、⑥濃い味付けの物ばかり食べる「濃食」、⑦パン、麺類など粉から作られた物ばかり食べる「粉食」、が増えることで、食嗜好が偏り、また、食を通じたコミュニケーションが減ってきていると指摘しています。

以前、MOKCHA(モッチャ)という食事会を開いていたことがあります。共同主宰していた在日韓国人の友人によると、MOKCHAとは、「食べよう!」という意味。「キムチづくり」や「豆腐づくり」「カレーづくり」など、毎回、食に関するテーマを決めて、原材料から自分達で作って食べるという企画です。鶴橋まで「唐辛子」や「オキアミ」を買い出しに行ったり、石垣島から「にがり」を取り寄せたり、食材を揃えるだけでもかなり手間がかかったのを覚えています。

自分で作ったできたてのお料理は大抵おいしく感じるものですが、このMOKCHAの隠れテーマは、「まずくてもいい」。いや「まずい方がむしろいい」(笑)。「おいしい」よりも「まずい」方が、「食べる」という人間にとって最も根源的な行為を強く意識できるような気がしたからです。

世の中に飲食店が増えて、味の平均値が上がったために、少々の「おいしい」だけでは、食への実感や感動が感じられない。ファーストフードやサプリメントが典型的なように、あたかも「食べること」=「エネルギー補給」となり、人間がロボット化していく。良くも悪くも、人間を人間たらしめる「食べる」という行為が失われていく。そんな漠然とした危機感がありました。だから、あえて、自分で作った「まずい」料理で、「食べる」ことと向き合う機会にしたい、と考えていたのです。

でも、今になって、よくよく考えてみれば、そもそも「おいしい」「まずい」なんて、どれだけ傲り高ぶった行為か、浅はかだった自分が恥ずかしくなります。人間を人間たらしめる「食べる」という行為の本質は、「いのち」を食べることに他なりません。「おいしい」とか「まずい」とか口にする時点で、「いのち」をいただく「食べ物」や、それをはぐくむ自然、お百姓さんや漁師さんなどに対する謙虚な気持ちにはほど遠い気がするのです。

そういえば、佛光寺では必ず食前に「食前のことば」を皆で唱えるのがルールとなっています。私も幼少期はよく唱えていたように思いますが、今まですっかり忘れていました。

「わたくしたちは、今この食膳に向かって衆恩の恵みに深く感謝します。味と品の善悪を問いません。いただきます。」

「7つのこ食」。その根本的な原因は、これらと無関係じゃないような気がします。