東日本大震災から5年。何に気づき、学ぶのか。

東日本大震災から5年。
5年前もあの日も、東北はまだまだ寒かったに違いない。私は、暖房のついた温かい部屋にこもって、一晩中、津波や原発の被害を延々と流すテレビを食い入るように見ていた。

うまく言えないが、阪神・淡路大震災の時とは違った感情がずっとあった。物理的な距離が遠いだけでなく、津波や原発の被害を経験的・身体的に実感できず、どこか別世界の話を聞いているような気がして、そんな自分に余計に嫌気がさしていた。

壊滅的な街の風景、2万人もの被害者、予断を許さない原発、数十万人とも言われる避難者、、。同じ日本に住んでいながら、自分は昨日と同じ毎日を過ごしていることへのもどかしさ、というか、罪悪感のようなものがあって、いてもたってもいられず、5月下旬のボランティア・バスに申し込んだ。

被災から約2か月後の街をはじめて見た時、あまりに現実離れした景色に、そこでわずか2か月前まであった暮らしを想像することすらできなかった。まるで、映画のセットを見ているような荒れ果てた街で、3日間、がれきを整理した。100人近いボランティアで片づけることのできたのは、わずか3~4つの田んぼだけ。自然の猛威の前に、無力さを痛感するしかなかった。

3年前にも東北を訪れた。がれきはきれいに片づけられていたが、見渡す限り更地が広がるだけで、暮らしと街の復興はほど遠いように感じられた。

5年が経ち、すっかりテレビニュースは減ってきたが、注意を払っていると、より衝撃的な事実が耳に飛び込んでくる。一番最後にしわ寄せが来るのは、いつも社会的弱者。仮設住宅の独居老人、身寄りのない原発作業員、原発避難者の被差別問題、、、。立ち上がろうとしている被災者に二重・三重の災難が襲う。

全日本仏教会によると、2,700ヶ寺が被災し、再開の目途がたたない寺院も多いという。檀家さんにしてみれば、お寺どころではない、というのが当然だろう。しかし、震災を機に改めて注目を集めた「地域の絆」「地域コミュニティ」とお寺とは深くかかわりあっている。こんな時だからこそ、心のよりどころとして、お寺や僧侶ができることがあるのではないか。。。

せわしない日常のなかで、次第に風化していく記憶。危機感。それが怖くて、未だに胸のつかえはとれない。厳しい現実を前に、私にできることは限られているとしても、何に気づき、何を学ぶことができるのか、あの日から自問自答が続いている。