僧侶になった日

私が僧籍を得たのは、小学生の時、一泊二日の本山での研修。手続き的には「得度」を受ければ比較的簡単に僧籍を得ることはできますが、一人前の社会的な存在としての僧侶になることとは違います。僧侶(宗教人)として社会とどう関わるべきか。人格的にも能力的にも不十分な私が僧侶などできるもののか。母を亡くし、寺を継ぐ覚悟で京都に帰ってきたとはいうものの、それから12年間、いつも頭の片隅にはこんなもやもやした迷いがありました。

2か月ほど前でしょうか。あるご門徒さんから、ご先祖の一周忌法要のご依頼をいただきました。それも導師。私にとっては、初めて一人で行う本格的なお勤めです。ずいぶんと悩んだ挙句、お引き受けさせていただくことにしました。

そして、昨日の法要。反省箇所を数えたらきりがないほどですが、同時に、ようやく一歩を踏み出せたような清々しい気持ちもあります。

振り返ってみれば、これまで私を悩ませてきたのは、「我」と「欲」に他になりません。自分の考えに固執し、思い通りに事を進めたい。それでいて、人からは優れた僧侶と見られたい。そういった欲が自分自身を縛り、悩ませてきたのです。僧侶としてのあるべき姿なんて、凡人が何年考えたってわかるはずがありません。また、わかったところで、なれる訳もありません。

与えてもらった機会に素直に感謝し、喜びを見出し、できる限りのことをする。
そんな大切なことに、改めて気づかせていただいた一日でした。