年頭のご挨拶

新年にあたり謹んで年頭のご挨拶を申しあげます。

さて、年頭にあたり、昨年の国内外の動きを振り返りますと、国内では、全国各地で予期せぬ自然災害や痛ましい事故、更には悲惨な事件は絶えることなく、何時わが身にも降り懸かるとも知れない一年でした。一方、海外に目を移しますと、世界各地で国家間の緊張や内乱・地域紛争が激しさを増し、多くの人々が難民と化し、厳しい生活を強いられています。更に、世界中を震撼させたパリ同時多発テロなど、私たちは新たな恐怖に脅かされています。

人類が英知を結集し、多くの人々の犠牲で築きあげてきた「共に生きる」という悲願は、なかなか達成できそうにありません。自然科学の発達によって享受した高度な物質文明と、「共に生きる」と言う人類の悲願である精神文化との乖離が、今日の混沌とした社会を生み出していることを痛感せずにはおられません。

人間は本来、仏性と悪性を併せ持っていると言われます。親鸞聖人は『正像末和讃』に、「悪性さらにやめがたし」と、煩悩具足の我達にとって、悪性は逃れることのできないものであると、お示しになっておられます。

しかし、私達凡夫は、自身の悪性を見つめようとせず、また気づきもせず、自分本位で身勝手に振る舞い、まわりを不安におとしめ、自分をも苦しめているのです。種々雑多、かつ膨大な情報が乱れ飛ぶ今日、心の拠り所を持たない凡夫は、「共に生きる」と言う人間社会の原点を見失い、ただただ情報に振り回され、不安と苦悩をつのらせるばかりです。

昨年の御正忌報恩講において惠照ご門主は、

「阿弥陀仏のみなをきき
歓喜讃仰せしむれば
功徳の宝を具足して
一念大利無上なり」

と、ご和讃をお引きになり、不安におののき、死を恐れて苦悩する我達凡夫に、阿弥陀仏のみ名を聴き、歓喜讃仰することで、この上ない功徳をいただくことができるのですとお示しくださいました。

お念仏を拠り所とする私たち真宗門徒は聴聞を怠らず、歓びをもって仏徳讃歎することで、不安と苦悩に満ちたこの時代社会を健やかに過ごすことができるのであります。皆様と共に今年もお念仏による真の生活をしてまいりたいと存じます。

長性院 住職 佐々木 亮一