先月末に、お隣の大善院さんで佐々木住職による法話マンガ原画展がありました。ユーモラスなイラストと軽快なキャッチコピーというシンプルな構成ですが、どれも奥深くて、時間を忘れて見入ってしまいました。
ちなみに、日本最古のマンガと呼ばれているのは、京都・高山寺にある鳥獣人物戯画(国宝)。約800年前に描かれた全四巻から成るこの絵巻物には、ウサギやカエルが擬人化されるなど、現代のマンガにつながる手法が見られるそうです。
さて、今日は、そんなお寺にある絵や像のお話。
浄土真宗のお寺のお堂には木像や絵像の仏様が並んでいますが、そんな中に漢字が書かれた掛け軸を見かけたことはありませんか。これらの掛け軸には、「南無阿弥陀如来」や「帰命尽十方無碍光 如来」、「南無不可思議光如来」などと書かれており、名号(みょうごう)本尊と呼ばれるもの。「尽十方無碍光如来」や「不可思議光如来」とは、阿弥陀如来を光に例えて表した御名のことで、これらの掛け軸は「阿弥陀如来に帰依します」という信心を意味しています。年季の入った仏像に比べると、なんとなくありがたみが少なそうな、そんな印象を持った方も多いかもしれませんが、親鸞聖人もこの名号を本尊とされていたと伝えられています。
浄土真宗では、本尊は「方便法身尊形(ほうべんほっしんそんぎょう)」と言われます。「方便」とは「嘘も方便」の「方便」ですが、もともと仏教用語としては「真理に導くための手立て」という意味であり、「法身」(色も形もない真理)は、方便の形をとることによって、私たちの前に現れると考えます。真理とはあまりに難解で私たち凡夫には到底想像することすら難しいものですから、私達にも理解できるよう一人一人の器量に応じたさまざまな方便(言葉や形など)で説かれているのです。
私たちは、「方便法身」である仏像や絵像、名号にお参りしています。木像の仏様の優しいお顔に心救われる方もいれば、名号の文字姿から阿弥陀如来の慈悲を理解する方もおられるかもしれません。しかし、いずれも「方便法身」。目の前の仏様を拝むことを通じて、私たちを包みこんでいる大きな真理に手を合わせているのです。
高山寺の鳥獣人物戯画の中には、仏壇にカエルが祀られている戯画があります。もしかしたら、カエルもまた「方便法身」だと、作者・鳥羽僧正は伝えたかったのかもしれません。
(副住職)